石ころ部会の11月活動報告

月 日:R5年11月25日

場 所:柏原市 柏原市立歴史資料館・横穴公園及び大和川河原(国豊橋近傍)                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

参加者:21人

活動内容:

寒波襲来と思いきや、ぽかぽかの小春日和。今年最後の部会活動に21名がJR高井田駅に集合。午前は歴史資料館と高井田横穴公園の横穴古墳の見学、午後は大和川河原(国豊橋近傍)の石ころ観察である。歴史資料館で縄文・弥生の土器や石器、古墳時代の埴輪や装飾品、江戸時代の大和川の付け替え工事関連資料などの展示を見た後、学芸員の越智さんと横穴古墳の見学に公園内を歩く。古墳造営の文化的・時代的背景や大正期の横穴墓発見の経緯などの説明を耳に、200基以上ある日本最大級の横穴墓群の中の数か所に実際に入って見学し、遠い昔の古墳時代に思いを馳せた。

午後は地質学入門である。佐藤先生から横穴古墳の岩盤(凝灰岩)や公園入口近くの広場にある置き石(花崗岩)についての説明を受けた後、大和川にかかる国豊橋まで移動し、河原の石ころ観察を行った。朝とはうって変わり、河原は強風の荒れ模様ではあったが、思い思いの石を拾い集め、先生に鑑定をお願いした。

今日も多くを学んだが、ポイントを整理すると:

● 高井田古墳の岩盤は凝灰岩である。これは約1500万年前の大峰山・大台ケ原付近で起きた大規模なカルデラ噴火に由来するもので、室生火砕流堆積物と同じものである。当初はドンズルボーと同じように二上山の噴火に伴うものと思われていたが、岩質に違いがある。また、ドンズルボーの凝灰岩が幾層にも重なっているのに対し、高井田ではそのような層は見られない。即ち、1回の噴火で100mを超える堆積物ができたことを意味し、当時のカルデラ噴火の規模の大きさを物語っている。

● 公園入り口近くの広場に10数個ある大きな置石は古代の寺院(太平寺)の庭園の石を移設したものである。岩石の多くは花崗岩であるが、よく見ると縞状の模様の片麻岩に重なっているのが分かる。領家帯花崗岩と領家帯変成岩類が大阪平野の基盤岩であるが、地質年代的には約1億年前に変成岩(主に片麻岩)が高熱により形成された後、約8000万年前に花崗岩質のマグマが下から上昇・貫入したため両者が入り交ざった形になっている。花崗岩と片麻岩の両方がみられる理由である。

● 河原で集めた石ころは花崗岩、閃緑岩、斑レイ岩、流紋岩、安山岩(サヌカイト・サヌキトイドを含む)、砂岩、チャート、片麻岩、石英と鑑定され、5月に行った少し上流の亀の瀬での鑑定結果とほぼ同じであった。同じ大和川でも石ころの大きさや形は少し小さく、丸みを帯びているように思われた。今回は安山岩の他に片麻岩が多く採取されたが、縞状の模様やキラキラ輝いて見える粒子(黒雲母)が目を惹いたためか。(I.S.)

横穴古墳

大和川河原の石ころ観察