石ころ部会3月活動報告

月 日:3月26日

場 所:岸和田(自然資料館、岸和田城など)

参加者:20人

活動内容:

のどかな春の一日、午前はきしわだ自然資料館にて館内展示物の鑑賞・観察を行った。ここには見た者の目を惹く動物の剥製やナウマンゾウの骨格標本などの他に、岸和田の自然、地層、化石など、自然史関連の様々な展示がある。今回は地味な内容となるが、石ころ部会として地質学の専門家である濱塚アドバイザーより泉州地域の地層、岩石などについて学ぶ機会を得た。

 岸和田の海岸から和泉葛城山にかけて(1)大阪層群、(2)領家体花崗岩類、(3)泉南流紋岩類、(4)和泉層群の露頭(地質断面図など:写真参照)が見られるが、年代的には300万年前に形成された大阪層群が一番新しい。これらの地層が幾度も地殻変動を経て、また海面の上昇・下降に伴い、時に海底に、時に陸となりながら複雑な地層を現在に残している。 このため泉州地域では日本列島誕生の土台形成となる様々な石(火成岩、堆積岩、変成岩)が観察され、地質学的価値は府内随一だそうである。因みに日本の国石である糸魚川の翡翠に対し、各都道府県指定の石や鉱石もあり、大阪の府石は和泉石(和泉青石)と呼ばれる和泉層群の砂岩であるだそうである。大阪の鉱物は、これもアンモナイトと伴に和泉層群で見られるドーソン石だそうである(写真参照)。

 午後は陽光の下、七分咲きの桜を愛でながら、昔ながらの風情を残すかじやまち商店街や明智光秀の肖像画で名高い本徳寺周辺を散策し、丘陵や段丘で高低差のある街並みを確かめながら段丘最上部に築かれた岸和田城(千亀利城)まで歩いた。石垣や本丸は主に和泉石や花崗岩が使われており、石庭は多くの泉州青石(緑色片岩:変成岩)を各所の配置し、周囲を敷き詰めた白川砂(花崗岩が風化したもの)で構成されている。午後3時に散会したが石尽くしの一日であった。(I.S)

(1) 大阪の石

(2) 岸和田 地層図

 

石ころ部会の11月活動報告

月 日 : 11月27日(金)

行 先 : 石川 玉手橋下 河原(近鉄道明寺駅下車)

       石川 河原(河内長野駅付近) 

参加者 : 17名

 9月、10月は雨天中止で涙を飲んだが、今回は幸運にもポカポカの観察日和。 本年最初で最後の部会となることから、石ころについて多くを学ぶべく、地質学の佐藤隆春先生にボランティアとして同行をお願いした。場所は昨年5月と同様、道明寺駅近くの石川の河原。 先ずは思い思いの石ころを各自が採取し、岩石鑑定検索表や石ころ標本を参考にして皆で鑑定を試みた。 安山岩、サヌカイト、流紋岩、花崗岩、閃緑岩、凝灰岩、砂岩、泥岩、礫岩、石英、チャート、と11種類に何とか分類してみたものの、これが正しいのか間違っているのか全く自信がない。そこで佐藤先生の出番となるが、鑑定結果の正否や、それぞれの石の特徴を教えて頂いた。 正解率は7割程度で上出来というべきか。 他に、河原の石ころ分布についてより地質学的な観察方法も教えて頂いた。素人の石ころ鑑定は結論が出ないまま空しく終わってしまうのが常であるが、今日は何か満足感がある。

 昼からは場所を河内長野駅近くの石川に移動し、河床に露出する花崗岩と閃緑岩を観察した。 その過程で花崗岩や閃緑岩とは明らかに異質な暗緑色の岩片(5㎝大)の混入が数か所で観察された。 佐藤先生によれば玄武岩のようであるが、もし顕微鏡でそれが確認されれば地質学的には非常に珍しく、意義のある発見であるとのこと。先生の検討結果を待って、石ころ部会から大阪市立自然史博物館に内容を報告することになった。

以上、今回は地質学の雰囲気の漂う活動となった。(I.S)

石ころ部会11月活動報告

1. 日 時   :11月29日(金)

2. 場 所   :二上山・岩屋(地層観察)

3. 参加人数  :13名

4. 活動内容  :二上山は約1500万年前に噴出した火山岩類でできており、様々な種類の火山岩や凝灰岩がみられる。今回は佐藤隆春先生に案内と解説をお願いして、当麻寺駅を出発、当麻寺、祐泉寺、岩屋峠周辺のルートを往復した。今年一番の寒さながらも快晴に恵まれ、紅葉で彩られた二上山の地質観察を十分に楽しむことが出来た。

当麻寺では日本最古(白鳳期)の石灯篭を観察、二上山の凝灰岩から作られたもので、石材の加工技術が発達していなかった時代には二上山の柔らかい凝灰岩が重宝されたようだ。法隆寺金堂の土台もその一例とのこと。

祐泉寺周辺では丸みをおびた軽石が入った凝灰岩の層を観察、火山灰が岩石になったもので比較的柔らかく、白っぽい。(約1ミリのザクロ石や黒雲母も入っているようだ)

先に進むと溶結凝灰岩の層がみられた。火砕流によってたまった火山灰がそれ自身の高熱により溶解してガラス質になり固まったもので、溶結の度合いが進むほど黒っぽくなるようだ。

岩屋峠から岩屋に降りると凝灰岩や溶結凝灰岩の層に深く入り込んだ凝灰角れき岩の層がみられた。溶結凝灰岩が再度の爆発により粉々になって固まったものだそうだ。岩屋峠から雌岳のふもとに進むと青灰色の安山岩(ザクロ石黒雲母安山岩)がみられた。噴出した溶岩が凝灰岩層の上に堆積したもので、その境界線をみることもできた。

これら4種類の岩石の層はそれぞれが別々に起きた火山爆発によりできたもので、このような地形は珍しく、二上山に特異的なもののようだ。今回、雄岳は登らなかったが、雄岳では更に別の火山岩がみられるという。今は火山ではないものの1500年前この地に起きた度重なる火山爆発が目に浮かぶようだ。専門家の説明がなければ単なるハイキングで終わってしまうであろう二上山登山も佐藤先生のお蔭で大変貴重なものになった。岩石や地形の細かな観察を通して何故そのような地形になったのか原因を推定・検証していく地質学者の地道な研究努力の一端を垣間見る思いがした。

反省会は河内長野の大喜多で、出席者は9人。