石ころ部会の3月活動報告

月 日 : R5年3月24日

場 所 : 大阪城                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

参加者 : 23人

活動内容 :

花曇りの空の下、大阪城公園大手前芝生広場に23名が集合。2班に分かれ、大阪観光ボランティアガイド協会のガイドさん(山崎氏、青山氏)の案内で「大阪城の石垣につけられた刻印を巡る」コースを歩く。 先ずは大手口の外堀にそびえ立つ石垣の観察から始まる。 現在の城構えは17世紀前半の徳川幕府の再建によるもので、石垣の構築は幕府の命により西日本各地の64の大名が分担して進められたようだ。その証として石垣には各大名の紋章を彫り込んだ「刻印石」が残っている。注視すれば遠くからでも鮮明に見える刻印もあれば、風化により見え難いものもある。石の切り出し、搬送、石垣の構築と種類、構築に関わった諸大名など、尽きることのないガイドさんの説明の名調子に時を忘れ、歴史のロマンに浸ることもできた。 七分咲きのソメイヨシノの花見も堪能でき、ラッキーで心地よい一日となった。 石ころ部会会員としては以下の点に興味をひかれた。

石ころ関連:まとめ

  • 大坂城の石垣に使われた石の総数は大小合わせて約100万個。そのうち6万個に刻印が確認されている。(全ての石に番号をふって綿密な調査が行われたとは驚きである)
  • 石材としては99%は花崗岩であり、一部には和泉砂岩が使われている。
  • これらの石は近隣の六甲山、瀬戸内の島々(主に小豆島)、遠くは九州の採石場から運ばれた。(写真参照:この地域は領家変性帯に属し、広域変成岩とともに花崗岩の地盤でできている。関西では六甲のみならず生駒、金剛の山々も領家変性帯に属し、花崗岩の山である)
  • 1メートル四方の石でも奥行があるため重量としては2.5トン、蛸石のような巨大(5mx10m以上)なものは100トンを超える。
  • このような石でも石切場が海に近ければ城までの殆どの道のりを船や筏で比較的容易に運ぶことができたようだ(写真参照)(I.S.)

    大坂城の石垣 刻印の観察

    花崗岩の分布と石材の搬送